教師の手だてと子どもたちの姿第8時間目は、大まかなストーリーの決定からはじまる。ある程度決まったら、子どもたちは教師に説明をしなくてはならない。
ここでは、教師は、なかなか合格を出さない。「出さない」というよりは、「出せない」といった方がいいかもしれない。映像と文章がつながっていないと、もちろん合格させないが、それ以外の要因もある。 たとえば、子どもが他人ごとのように伝えているようなものはダメだ。たとえば「これでは、車椅子の人が困りますから、スロープを作って下さい。」なんていうのは、聞いていて伝わらない。どこかしらじらしい。ユニバーサルデザインとは何なのか、どのような社会をのぞんでいるのかが伝わらないのは、合格を出せない。 また、「自分の考え」が伝わってこないのもダメである。稚拙な言葉でもいいから、このようなことを学習したら、自分のものの見方がこのように変わった、といったものだと説得力がある。たとえば「今までは点字ブロックなんて意識して見たこともなかったけど、あらためて見てみると、ずいぶんと痛んでいることに気がつきました。」といった「自分の考え」は映像を伴うと伝わるものがある。 そうやって「合格」をもらったチームは、写真を台紙にはる。そして一人一人が原稿の文章を書いていく。一人一人が書くから意味がある。それぞれが真剣に考え意見を突き合わせていくから良い物が生まれる。 自己評価カードの文章から、子どもたちの思考の足跡が分かる。 一人一人が原稿を書いたところで、45分の授業の終了となる。
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子どもたちが、話し合いながら考えを深めていくためには、それぞれが「自分の考え」をもっていなければならない。
つまり自分なりの視点を持たせる必要があるのだ。
活発に話し合っていれば、相互に作用するというわけではない。黙って自分の考えを練り上げていく時間だって必要なのである。自分の考えができあがっているからこそ、話し合いにも熱が入る。グループ内で一つの作品を作り上げるからこそ、「自分が参加している」という実感も高まるはずだ。 そのためには、一人ひとりが、原稿を文章にしてみる必要がある。自分の答えがあるからこそ、他人との比較ができる。また、映像を言語にしていくことになっていく。 |
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