前回は、「情報モラル」教育と、ACCSが提唱する「情報モラルの森」についてご説明しました。今回からは、「情報モラルの森」を構成する木の1本ずつを、より詳しく解説していきましょう。最初は、著作権についてです。
情報モラルの中核となる著作権
まず、「著作権」は法律であってモラルではないことを明確にしておく必要があります。前回までの連載で、著作権を、情報モラルの一つとしてプライバシーやネチケットとともに紹介したため、モラルであると誤解されているかも知れません。著作権法は、絵や文章や音楽などの著作物の創作者の権利を保護し、経済的または人格的な利益を確保することにより、さらなる文化の発展を図ることを目的とした法律です。法律である以上、無断利用など違法行為に対しては罰則が規定されています。著作権は、憲法によって保障されている「人権」(財産権)であり、一部の例外を除いては著作物の利用には必ず許諾が必要なのです。
もう一点、認識が必要なことは、著作権がある著作物とはプロが作った作品だけではなく、たとえば子供たちが書いた絵にも、そこに、その子供なりの創作があり、表現されている以上、著作権があるということです。そして、著作権は、どこかに登録して初めて発効するものではなく、創作された時点で自動的に発生します。学校の図画の時間に描いた子供たちの絵は、その時点で子供たち自身が著作権を有する著作物となるのです。もちろん、世の中にある絵や文章、音楽は、ほぼ全て誰かの著作物であり、誰かが著作権を有しています。
ただ、人間が作ったものが全て著作物になるかというとそうではありません。著作物として認めるためには、そこに人間の思想や感情を創作的に表現していることが必要です。地勢データや気象情報などは、そこに創作性がないため著作物ではありません。また、まだ絵や文章や音楽などの形で表現されていないアイデアは著作物には含まれません。
著作物の利用には許諾が必要
それでは今回も、ACCSが運営する「デジタル時代の情報モラルを考える著作権・プライバシー相談室『ASK ACCS』」に寄せられた質問を元にした次のような具体例について考えてみましょう。
中学校のa先生は、合唱コンクールでクラス全員で歌った歌をクラスのホームページで聴けるようにしている。
この場合、権利者に許諾を得た上で利用することができます。もし、歌った曲の作詞作曲者が、同じ学校の先生など身近な人であったら、どうでしょう。歌う前やホームページに載せる前に、「私たちが歌ってもいいですか」と許可を取るのではないでしょうか。別の先生が作った教材を使わせてもらおうと思えば、教材を作った先生に「使わせてもらっていいですか」と断りを入れることと同じです。そう考えると、クラスで歌った曲が有名なヒット曲であっても、「私たちが歌ってもいいですか」と許可を求める必要性は理解できると思います。
著作権法は、コピーしてはいけないとか貸してはいけないと全てを禁止している法律ではなく、許諾を得た上で利用することを認めている法律です。「無断で」利用することを禁じているだけであり許可さえ受ければ利用することができるのです。
a先生の例では、多くの場合、日本音楽著作権協会(JASRAC)が作詞・作曲家から著作権を預かって権利処理をしています。曲によっては許諾されない場合もありますが、個々に判断されるため、面倒でもJASRACや権利者に許諾を求める必要があります。
権利者と使用者のよりよい関係のために
別の例として、市販のソフトウェアを授業で利用するという理由でコピーしている例を聞く場合があります。教育機関における複製の問題には改めて触れますが、市販ソフトの無許諾コピーは教育機関においても著作権法に違反しています。こうした場合、ソフトウェアの著作権者である開発会社に対し、使用許諾を求めて欲しいと思います。今では多くのソフトメーカーがアカデミックパックなどの名称で、学校向けに安く提供する料金体系を設けていますので、これらを利用するべきでしょう。
先に触れたとおり、著作権法が財産権である点を考えれば、著作権者は無闇に著作物の使用を制限するのではなく、正当な対価によって使用を許諾することを考えるべきものと思われます。もし、著作権者が一切の使用を許諾しないなら、そのソフトウェアは実際使用できないわけで、別の同種のソフトウェアに乗り換えることも考えるべきだと思います。ユーザーは、著作権者の権利を尊重しつつ、権利者による行き過ぎた使用制限に対しては消費者の立場から意見を言うべきと考えます。それは、長い目で見たとき、権利者と使用者のよりよい関係づくりにつながると思います。
コピーライト表示を通じた著作権教育を
いずれにせよ、著作物を無断利用するのではなく、相手が身近な人の場合なら普通に持つであろう一言断るという気持ちを、著作物の利用に際しては意識しておくと間違いは起こりにくいでしょう。違法・適法のハウツーではなく、他人の創作活動に対する敬意を持つこと、もし自分が著作者だったらどう感じるだろうかといった想像力を養うことが、著作権教育の本質ではないでしょうか。この連載第1回で触れましたが、こうした著作権教育がなされるなら、社会のルールや人と人との関わりの規範に発展させられるものと思います。
著作権教育の中で、ぜひ、子供たちの創作物にコピーライト表示を付けるようにすることをお奨めします。コピーライト表示とは、(c)、発表年、著作者名から構成されます。この文章であれば、「(c) 2002 久保田裕」となります。こうすることで、著作者としての自覚を促し、他人の著作物への敬意が生まれることを期待したいと思います。その上で、他人の著作物を利用したい場合は、著作権法違反だからといって諦めるのではなく、著作者に許諾を求めるというアクションをぜひ取って欲しいと思います。そのプロセスを通じて、コミュニケーション能力を高めるとともに、著作物の利用とは何かを学べるのではないかと考えます。 |
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