久しぶりの書き込みです。
コンピュータ室の解放やコンピュータやインターネットの自由使用について議論されてますね。
そこで話題になるのがネチケットとかモラルという概念ですね。
以前、どこかのMLで生徒(児童)に個々のメールアカウントを発行することが良いか悪いかと言う議論がありました。これはリベロさんがおっしゃるように「闇と明とのトレードオフ」です。またそれが許せるかどうかはそのバーチャルなコミュニティーに参加する生徒(児童)の問題であって、強いて学校の問題として取り上げるならば、それは「その学校の文化」の程度に依るのではないでしょうか?
文化は教育によって左右される気がします。何も知らない子どもにコンピュータという道具(おもちゃ?)を与えても、万人が万人我々が期待するような利用をするとは限りません。そこにはやはり「正しい使い方」や「やってはいけないこと」なヌ我々が普段の生活を営むことと同じように経験を含め教育が必要だと思います。高校で言えば(私は高校の教員なので)、今度新設された教科「情報」の必要性が見えてくるような気がします。
私は、情報教育は小学校、中学校、高校、大学と少しづつ重なりあいながら切れ目なく指導が行われる必要があると考えています。今のところいろいろ情報を集めますと、小学校と中学校の先生方は一緒に集まって研究会や情報交換を行っているようですが、中学校と高校あるいは高校と大学の間ではそのような動きを知りません。我々高校教員の怠慢さからくるところなのかもしれませんが、今後、異校種間の連携が情報教育のキーになるように思われてなりません。
話を元に戻して、モラルと文化の件ですが・・・。
私は新しい世界にふれたとき、例えばコンピュータが教室にやってきたとか、インターネットに繋がったとか、メールのやりとりをするようになったとか、海外と異文化交流をはじめたとか、このように何か今までにないことを始めるときにその場に新しい文化が芽生えると考えます。そう考えると、小学校、中学校、高校という壁なんて存在しないんですね。従って小学校で高校以上の文化が芽生えた学校が存在してもおかしくありません。
あまり長く書くと迷惑になりますしポイントも薄れますので、この辺で失礼します。
ご意見下さい。
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