ネットデイは、ここ数年、アメリカで広まりつつある教育普及活動の1つで、設備や機材はもとより、予算も人手もない学校で、ネットワーク環境を整え実践したいという学校側の希望をかなえようというイベントだ。後で触れるが、ネットデイへの参加者もさまざまな立場の人々に及ぶ。だが、日本ではまだまだネットデイは「日常の姿」にはなっていない。
誰がやるのか?
さて、ではこのようなネットデイは誰が参加する可能性(あくまでも可能性だが)があるのだろうか?
ちょっと下に整理してみた。
1)業者
学校に出入りするパソコン納入業者等が関わってくれると話は早い。何か後でうまく接続しない等のトラブルがあっても、電話1本で来てもらえるからだ。しかし、この場合のネックは予算だ。こういうところに学校予算をつぎ込めるかどうかという問題がのしかかってくる。ましてや、こういうことにボランティアで参加してくれる業者を望むのはなかなか難しい。
2)教育委員会、教育センター
本来であれば、教育委員会、教育センターの手を借りる方法は一番「まっとうな」選択肢なのかもしれない。しかし、今のところ、現状の接続環境しか認めていなかったり、例えそうでなくても、人手をそこまでさけない教育委員会、教育センターがほとんどだろう。
もっと本来であれば、予算をつけてネットデイなどやらずに済むのが筋なのだ。しかし、文部科学省が教育の情報化を言い始めてから、校内のパソコンをネットワークで結んであるものを更新機器導入で実施している市町村もあるが、まだ多くはないのが現状だ。
3)地域のボランティア
もしかすると、予算と人手の問題を一気にクリアーできるかもしれないのが、この方法だ。しかし、一般的には、いきなり学校関係者以外の人間が校内にずかずか入り込むことに抵抗のある学校や教師が多い。まだまだ日本の学校は閉鎖的なのだ。学校五日制や総合的な学習のスタートがここを切り崩してくれるのを期待してやまないのだが。
4)学校内の教師で
となると、残りはこれしかない。校内の教師でやってしまうという手だ。しかし、ただでさえ忙しい校内の教師。担当者が笛をふいても、パソコンの活用さえままならないのに、いきなりネットデイで時間外まで重労働を強いられたら、たいていの教師は以後パソコンに近づかなくなる。校内の重点研究でネットディの実践をとりあげているとか、情報教育委員会の1年間の目標が校内のネットワーク整備だとか、よほどの理由が必要になるだろう。
5)大学の研究室、研究チーム
技術力もあり、熱意のある学生が参加してくれるということは言うまでもないが、機材貸し出し等の面で大学の研究室の全面的バックアップを受けられるメリットは大きい。柏市のように近隣の学校と共同研究を進めようという大学や研究所が今後もっともっと増えていくことを願ってやまない。学校側からいうと、このような大学(研究室)をみつけること自体がなかなか難しいのが現状だ。
ネットデイにより、もたらされるもの
ご覧のように、なかなか決め手のないネットディへの参加者問題だが、「やりたい!拡張したい!」という現場の教師が学校内外に声を大きくして言っていくしか方法はない。そのような意味においても、ネットデイは、ネットワークを授業や活動で活用する子どもたちはもとより、ネットデイに参加したすべての人々にとっても、なんらかのプラスにならなければ長続きはしないだろう。
学校(教師)側にしてみても、環境が整い、ネットデイ参加者にアドバイスをもらうことでインターネット利用の見通しも見えてくる。また、総合的な学習のサポーターとして引き続き関わってもらう良いチャンスだ。参加者にとっても、保護者としてそれまで疎遠だったお父さんが学校に関わることができたり、ノウハウやコンテンツを蓄積することで今後の自分の仕事や研究に活かせるはずだ。とは言っても、時間も労力もかかるネットデイは参加者に熱意があり、受け入れる学校側にも理解がない限りなかなかうまくは進まない。後で登場する大口台小ネットデイでは、子どもたちも作業の様子を垣間見ることができた。作業の次の日、ある子どもは担任の教師に「先生、あぁやってわたしたちのためにインターネットをできるようにしてくれたんだね。大変なんだね」と、話していたという。今回はたまたま作業時間の関係で子どもたちも目にしたわけだが、結果的には良かったのかもしれない。
今後は企業や省庁などの大きな組織がこのような草の根活動を全面的にバックアップする(ネットデイをやるような組織を作るとか、そういうことを推進する団体に資金援助する)ような動きはないのだろうか?また、同じ地域でも学校によって状況がちがう場合も多いだろう。必要に応じて地域の行政組織より人材派遣や予算の確保はできないものか?学校への社会貢献としても、学校のインターネット環境の有効活用という面でも、大きな意味をもつのではないかと思うのは筆者だけではあるまい。ニーズはたくさんあるはずだ。 |