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安斎利洋氏 |
安斎:僕らが願っているのは、もっとオープンなシステムの中で、たとえばあるものを見たときに、いろんな見え方が可能なんだよとか。自分が描いた絵でも他の人から見ればまったく違うものに見えることもあるんだよ、といったようなネットワーク社会の中の実像に対する感覚を開くこと。そして人の絵を触るのと同時に、逆に人に自分の絵を触られるという感覚を学ぶこと。
実際に連画をやってみると、他の人の絵を触っている快感よりも、むしろ自分の絵がどう変わっていくのかということに、ものすごく興味が湧きます。そういったことを学びとるには、連画以上に良いものはないと思う。
中村:それはやっぱり裏付けとして、デジタルの特性であるオリジナルとかコピーとかない、まったく同じものを他人に提供できるという、最高の利点によるものよね。自分のオリジナルは傷つけられてないというか…。これは、デジタルをおおいに遊べそうだと直感的したので、私もあの安斎さんのメールによる提案を受けたんだと思う。
安斎:つまり誰かに盗られるんじゃなくて、自分の言ったことが木霊のように広がっていく。連画はそのように増幅されるシステムだからこそ、その中で表現し合うことができるんです。
BBSでも、自分のメッセージがだんだんパブリックなものになって、いろんな文脈の中に入っていくことを知らされる機会がありますよね。そんな時、自分というのは有限なもので、人というのは無限の可能性がある。で、そういった関係の中で喋るということは、実はものすごく重いことなんだということがわかる。連画もそれと同じことがいえると思います。
中村:1996年以降、何回か小学校の現場に呼ばれることがあって、私たちが作った「連画支援環境」とでも言うべきソフトウェアで実験する機会があったんですが、我々が10年かけて積み重ねて体感してきた経験が、一瞬にして彼らの中に起こる。彼らは、自分の絵が触られること、さらに自分も他人の絵の上に描くことといった基本的な連画の経験を通った上で、さらに新しいルールを作ってどんどん遊んじゃう。子どもたちは、機材への適応も、新しい考え方に慣れるのも早い! |