山本:情報機器のインフラ整備は進んでいても、教育の中身が追いついていない現状は確かに否定できませんね。
中川:そうした情報機器を提供する側として、北川さんはどのようにお考えですか。
北川:企業人としての意見ですが、弊社は何かを伝えるときに工夫するためのコミュニケーションを助けるソフトを提供しています。このようなツールでは、いかにうまく伝わるのかを体験してもらうことが必要だと思います。つきつめて考えれば、最初に相手のとらえ方を想定しているわけで、初めから相手の立場に一歩踏み込んでいると言ってもいいでしょう。我々のソフトのユーザーである方々は広告関係のクリエイターなどが多く、彼らは自分の作ったものを受け手である生活者がどうとらえるかが勝負なんです。私も10年ぐらいマーケティング・コミュニケーションの仕事をやってきて、どうしたら自社のソフトの利便性や良さを使う人に理解してもらえるかの変換作業をしてきました。その経験から得たことは、自分の主張だけを一方的に言っても相手に伝わらないのは当たり前で、相手のことを多角的に考え、いい機能だと予測できることをピックアップして伝えても足りない場合があるということです。それは相手が話を聞くときのシチュエーションの想定に足りない何かがあるからなんですね。確かに論理的には相手の要望に応えているのだから心に響くはずなんですが、計算通りの反応は得られない。そこにコミュニケーションの面白さがあるんですね。相手が自分のことをどう理解するかを一生懸命考えると、自分のすべきことも自然に理解できるだろうと思います。最もいいのはプロの仕事の追体験かもしれません。一連の作業を子どもたちが1回通してやってみると、コミュニケーションの本質が理解できると思います。
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北川久一郎氏 |
江守:私は御社のソフトはこれまであまり使ったことがなかったんですが、実際に触って操作してみると面白いんです。良い作品は、一人の作業だけでは作れないことを実感できるからです。1つのビデオ作品や新聞が完成するまでに、多種多様なコンテンツを集めて要素の構成についてコミュニケーションを取らないと、いいものが絶対作れないんですね。例えば1年次でソフトにふれた生徒のなかには、2年生になるとプロも顔負けの作品が出てきます。それも今までは目立たなかった生徒が一つのことに打ち込んだ結果、発揮した力だったりするんです。認められると自分の居場所が学校のなかにできる。これは大変重要だと思います。従来は「スポーツまたは勉強ができる」が学校における居場所の条件でしたが、新しくデジタルな居場所が出てきてもいいのではないでしょうか。自分の能力の生きる場所が広がっていけば、コミュニケーションも広がっていきます。
北川:親として「総合的な学習の時間」で知恵や生きる力を身に付けさせていただきたいんですが、本来はすべての教科の授業が「総合的な学習の時間」のような本質を持っているはずです。例えば音楽も、サッカーなどのスポーツも、相手の立場を考えるコミュニケーションの要素があると思います。従前は家庭や地域で育んでいたことかもしれませんが、社会が変質している今、学校も家庭も地域も一緒になって子どもの知恵を培うことを考えないとコミュニケーション能力の育成は難しいのではないでしょうか。
中川:コミュニケーション能力という言葉をきっかけとして、結果的には知恵に結びつき、自分の居場所が増える子どもたちが多くなればいいと思いますね。先程の掲示板も居場所のひとつだと言えるでしょう。教育におけるコミュニケーション能力の育成のベースには社会構造や文化もありますが、学級作りや雰囲気作りという教師の裁量に負うところも大きい。子どものための器作りには、家庭・地域も含めて取り組まないといけません。またプレゼンテーションや創造活動、表現活動などが融合した形の活動をうまくカリキュラムのなかに生かし、質を高めていくことも課題です。豊かなコミュニケーション能力を育むには初等教育から高等教育までの縦の時間軸から見ることが大きなポイントになってくると思います。本日はありがとうございました。
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